2010年12月29日

今年一年を振り返ってみるか...

今年は、よく走った1年でした。

なので、僕にとって今年を表す漢字一文字を問われれば、間違いなく『走』を掲げることでしょう。

年末年始の大雪は、鈍った身体に渇を入れるような勢いでした。帰省していた妹を巻き込んでの雪かきは、スノーダンプを走らせながら、改めて父が居ないことを感じさせるひとときでした。 そんな身体を酷使した正月休みが明けたあと、我が家では悪夢のような出来事が待ち構えていました。

飼い犬チョコの下半身不随です。買い物を終えて帰宅すると、出迎えたチョコは悲痛、絶叫、金切り声とも言うべき声を上げていました。その姿を目の当たりにした時、何が起きたのか全く理解できず...。その後チョコを車に乗せて動物病院へと車を走らせましたが、今思えば、よくここまで耐えてくれたものだと。生きたいという力って、凄いということを実感...。

2月。実は義父が倒れました。それも、緊急入院。さらに運悪く、実はそのとき我々家族は、上京していました。チョコを妻の実家に預けていたため、様子を伺うため電話を入れたところ、全く連絡が通じない...。これはおかしい。何かあったのでは。 結局ようやく連絡が取れたのは、義父が救急車で緊急搬送され、手術を受けた後でした。診断の結果は「胃がん」でした...。 狼狽する妻をどうすることもできぬまま、翌朝青森へ戻り、病院へ直行。 「死ぬかと思った...」と細々とした声で語る義父の声に、まさに身震いするような思いでした。ちなみに義父は、その後も抗がん剤を打ちながら闘病中です。

3月。上旬にいきなり内々示を聞かされることに。またしても所属部の変更、そして新たにできるグループに4月から異動することを知りました。新しいグループということですので、選ばれたんだと思いたい反面、なぜ僕がそのグループに行くのだろう、という悶々とした思いを抱きながら、4月から新しいセクションでの仕事がスタートしました。ガラリと職場環境が変わり、ずっと戸惑いながら今も仕事しています。ハイ。

ただ、飽くなきコンサート熱は冷めることなく、今年は4月の東京事変を皮切りに、山下達郎、鈴木雅之、佐野元春、矢野顕子と、今年は若干偏り気味でしたが、いろんなコンサートを観ることができました。

そして、何よりも三十路最後の足跡を残そうと、今年は2度のマラソン大会にエントリー。とはいえ10キロマラソンですので、熟練ランナーからすれば全然たいしたことないのですが、7月のAOMORIマラソン、10月の弘前・白神アップルマラソンと2度の大会を走ってきました。去年からちょこちょこと走ってはいたのですが、本格的なレースエントリーは何と10年ぶり2度目。 7月は高校の同窓会を蹴ってまで走る気になったのですから、結構本気だったんだと思います。 その日は猛烈な湿度と暑さで、救急車で運ばれた人が10人を超えたという話を後で聞きました。その中で自己ベスト更新でしたので、当然頭に浮かぶのは有森裕子の名言でした。

ところが、その直後毎年恒例の沖縄旅行に出かけた時に異変に気づきました。腰のあたりに出たかぶれのような痕跡...。旅行から帰った後病院に直行すると、「帯状疱疹」の診断...。出張、マラソン、旅行と、無理がたたったのかも知れません。

9月、父の三回忌を終え、ひとまず「区切り」がつきました。そして10月。3度目となる大会「弘前・白神アップルマラソン」への出場。この日はさらなる自己ベスト更新を目指していましたが、有言実行。30秒ほどタイムを上げ、ようやく44分台突入です。来年は40歳以上でのエントリーとなるので、ちょっと上位を目指そうかと考えたり...(笑)。

ところがこのあたりからじわりじわりと仕事が忙しくなり、11月は目の回るような日が続きました。連日の残業と往復の通勤、削られる睡眠時間。この頃に帯状疱疹を発症していようものなら...ちょっとゾッとします。 来年はもっと忙しくなりそうな予感です(いや、実際忙しくなるみたいです)。

そんなわけで30代最後の年は、文字通り駆け足で走り抜けた1年間でした。ちょうど1ヶ月後には、いよいよ40代突入です。来年はもっと地に足のついた状態で仕事をしたいのが一つ。もう一つは、抜け毛を何とか食い止めることを目標にしたいと思います(ウソです。笑)。

では皆様、よいお年をお迎えください。

トラックバックURL

このエントリーのトラックバックURL:
http://nonvey.oops.jp/cgi/mt/mt-tb.cgi/6236

コメントする