2014年4月18日

骨組みだけの傘

4月18日。父の67回目の誕生日。 祝うべき主は5年半前、誰にも何も言わず、忽然とこの世に別れを告げた。 父が僕らの眼前から突然いなくなったことは、僕たち家族や周囲の人たちに大きな衝撃を与え、そして僕らを奈落の底へと突き落とした。 もうこれ以上の「底」はないんだよな...。 そう自分に言い聞かせ、ひたすら「上」を見続けながら生きてきた毎日。 気がつくとあれから5年半が経ち、僕も40代半ばに差し掛かっていた。 父亡き後で気づいた、父の遺した財産。 とてつもなく大きな財産。 それは「形あるもの」ではなく、「人と人との繋がり」だった。 父亡きあと、僕は弘前市内外において大勢の方と接するようになった。 まるで何かに取り憑かれたかのように、いや、何かを払拭するために、それまでまるで興味を持たなかったような場にも顔を出すようになった。そこには、みんなに父のことを忘れて欲しくないという思いもあった。 しかしそこで僕は、父が生前築き上げたとてつもない「人脈」と「足跡」を目の当たりにすることとなった。 時にはかなり目上の方々(それは、普段ならば決して接することがないであろう方々も含まれている)とお会いする機会もあったが、僕のことを知らなくても、父の名前を出せば大概の人が「ああ、マガさんの息子か!」と理解してもらえる。いわば父は、僕にとって「名刺」みたいなものだった。 ...しかし、そんなことを繰り返すうちに、一つのわだかまりが生じることとなった。 人の噂も七十五日。やがて父のことなんて、皆忘れてしまうのだ。 父は父、僕は僕。 いつまでも父が遺した傘の下で、父の名前に頼っているわけにはいかない。 ...しかしその頃から僕は、父が僕に遺したのが傘そのものではなく、傘の骨組みだということに気づき始めた。どうやら父は亡くなる直前、傘の布を全てはぎ取っていたらしい。 手元に残された、布の張られていない骨組みだけの傘。 そこに何色のどんな布を張るのかは、お前次第なんだと。 父が六十数年という期間を経て頑丈にこしらえた骨組みは、多少のことでは壊れることはなかった。 その骨組みを、指で、目で、一つ一つ辿ってみる。 そこには、亡父の思い出がたくさん詰まっている。 「あの時なあ!マガさんさぁ...。」 ...そんな些細な思い出話でさえも、僕にとっては興味深い話だ。 さまざまな思い出話を聞かせてくれる、かつて亡父と出会った人たち。 亡父を介して新たに知り合うこととなった人たち。 亡父を介せずとも新たに知り合うこととなった人たち...。 点と点を結び、線にする。 線と線を結び、面にする。 そして、その面に布を張る。 そこで生まれた新たなご縁や繋がり。人と人との繋がりが、やがて大きな輪となっていくのを実感する日々。 絶対に破れない布、今にも破れそうな布、穴の空きそうな布、目の粗い布...。 つぎはぎだらけの傘になるかも知れないが、今は、布一枚一枚を大事に手に取り、父が遺した傘の骨組みに貼り合わせていく。 そして今、傘に張った布一枚一枚が、僕にとってかけがえの財産となっている。 この骨組みだけの傘は、父が教えてくれた、人と人との繋がりの重要性を示している。 傘は、一生かかっても完成できないかも知れないけど、この先もずっと、この傘を大事にしていきたいと思う。 今日は、布張りの作業の手を休めて、久しぶりに父と語り合おうかな。 父が大好きだったキリンラガーで乾杯! オトン、ありがとな。 んめえな。うん。 October 22, 2013 at 09:19PM

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