2015年1月29日

ただの中年のオッサンとは呼ばれたくないのである。

44歳の誕生日を迎えました。 何かもう44歳になっちゃったかぁ、って感じです。40歳を過ぎてから、1年1年のスピードがだんだん速くなっています。だったら脚もこれぐらい速くなればいいのに、とか思ったり。 ここ数年、誕生日を迎える前後に必ず欠かさずやっていることが一つあります。 それは、1年前の自分のブログの記事を読み返すこと。 別に大した内容ではないのですが、どちらかといえば自分に向けた内容にしているため、ああ、1年前はこんなことを考えていたのか、1年間でそれはどうなったのかな、なんてことを思い返すわけでして。 振り返って見ると43歳は、比較的浮き沈みの激しい1年間でした。端的に言えば、頭から足まで故障と怪我に泣かされた一年でした。 「人生は帳尻が合うようになっている。」 ...まあ、僕の中での座右の銘みたいなものなのですが、43歳はまさにその帳尻が合う1年間、といっても過言ではなかったかも知れません。 出来過ぎた内容に浮かれていると、落とし穴が待っています。 でも、我慢を続けていれば、いつか花は開くものです。 しかしながら花が開いたからといって狂喜乱舞していると、花はすぐに散ってしまいます。 43歳は、そんな浮き沈みを、身をもって経験した貴重な一年でした。でもその一方では、最初から最後までどこか浮き足だった一年だった、といってもいいでしょう。 色んなことに手を出し過ぎ、とも言われました。 何事もなく平穏無事に...と密かに願った43歳。蓋を開けてみれば、色んなことがありすぎた1年でした。 44歳を迎えるにあたって、もう一度原点に立ち返る、というわけではありませんが、もう少し足下を見つめ直そう、と。...そもそも原点が埃や砂に埋もれてしまったため、どこにあるのかどころか、その原点が何だったのかすら分からなくなりつつあるのも事実なので。 44歳は、外面ばかりではなく少し内面を磨くことに力を注ごうかと考えています。他人の一挙手一投足や言動に振り回されることなく、大きな懐を持って自己を確立したいものです。言うなれば、自我の目覚めと認識です。 ついでに言うならば、年齢的には充分過ぎるほどオッサンの領域ではありますが、まだオッサンと呼ばれたくないのであります。例えオッサンであっても、どこにでもいそうな、スウェットの似合うオッサンにはなりたくないのであります。どうせなら、Tシャツと29インチのジーンズ(Gパンではありません。ジーンズです。ここ重要。)が似合う、格好いいオッサンになりたいのであります。 ...ということで44歳、今年目指すのはアンチエイジングです(笑)。 ウソウソ。 閑話休題。 僕が見据える先にあるのは、退化でも老化でもなく、進化です。進化しながら自我を探る。単なるエゴかも知れませんがこれ、一生かかっても終わらない作業でしょうね。 でも、また調子に乗って浮き足立っていると、すぐに足下を掬われます。 だから、自分から転ばないように、そして転ばされないように、地にしっかりと足を据えて行動しようと思います。 心にも身体にも「柔軟性」を、そして行動には「アソビ」を持たないとね。 その先にある進化を目指して、慎重かつ大胆に、獅子奮迅。 シシだけに44、ということで。 ...あ、シシはシシでも僕、亥(いのシシ)年生まれでした。 何事も空回りして猪突猛進にならぬよう気をつけます、ハイ。 これまでも、地球規模で自然環境を保護し、人間の生活との共存を目指すエコロジーが叫ばれているところです。僕としては、僕自身を含む周囲の環境を保護しつつ、社会生活との共存を図るエゴロジーから始めようと思います。もっとも行き着く先は、エロジジーかも知れませんが...。 さてと。まずは転ばぬ先の杖を買わないとね。 now44

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