2010年4月 7日

やりきれない思い

先月、以前家族共々大変お世話になった知り合いの方の御尊父が亡くなられたことを新聞紙上で知った。遠方でもあったため、母がお悔やみの手紙を添えて香典を送ったところ、昨日返礼が送られてきた。
が、そこに添えられていた手紙を読んで、何ともやりきれない思いが渦巻いた。

うちの父が亡くなった翌年の正月に、何故かその方から年賀状が送られてきた。あとで寒中見舞いを送ったところ、父が亡くなったことを知らず、非礼を詫びること、自身は親の介護に追われていて、出かけることすらままならないこと、その他近況が書かれた手紙が送られてきた。

先月亡くなられたのは、てっきりその時介護していたという御尊父だとばかり思っていたのだが、どうやらそうではなかったようだ。

手紙によると、今回亡くなられた御尊父は、余命1年と宣告されてから、既に4年が経過しようとしていたという。そんな中、昨年暮れに入院した御母堂が、わずか1ヶ月足らずで他界。さらに医師からは、御尊父もいよいよ今年の春まで持つかどうか、ということを伝えられ、御母堂に次ぐ悲しみを覚悟しなければならないと思っていた矢先、御尊父は突然、何の前触れもなく自ら命を絶ったという。ちなみに御尊父には、余命のことは一切知らされていなかったそうだ。

ご自身のご両親、そしてご主人のご両親と、この9年間は介護に明け暮れた日々。
4人の親を相次いで送り出したことへの安堵感がある一方で、最後の最後、何故こういうことにならなければならなかったのかという複雑な思い(もちろんそれは、誰にも理解しがたい深い悲しみがあったことだろう)が胸に去来する日々を送っているという。

手紙には、思いがけず妻に先立たれた父が、私たちのことを案じた上で出した結論なのだろう、と分析してはいたものの、70歳を超える御尊父が、何故余命幾ばくもない中、自ら命を絶たなければならなかったのか、手紙を読みながら胸が張り裂けそうな思いに駆られた。もっとも、当の本人は余命幾ばくもないことは知らなかったわけだが...。

しかし、まさに人生を全うしようという残りの1パーセントのところで、自ら幕引きをしなければならなかった理由は何だったのか...。それを思うと、本当に胸が苦しくなるし、残された家族の心境を慮ると、手紙からひししと伝わってくる無念、そしてやりきれなさに、なんと声掛けしていいのかわからなくなる。

残されたご家族の中には、99パーセントで自ら人生の幕引きをした御尊父への思いがずっと刻まれることだろう。そして、御尊父が費やすはずだった残り1パーセントの重みを、ずっと背負っていくことだろう。
果たして母が、うちの父の訃報に接した際の話を先方に伝えたかはわからない。
ただ、いつか、いつの日か落ち着いた頃に、またゆっくりお話しできる機会があればいいと思う。

改めてご冥福をお祈りします。

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