2010年7月16日

7月9日 神に会いに行く

5時30分起床。普段と変わらぬ起床時間だ。おもむろにベッドを抜け、シャワーを浴びる。例の患部は、相変わらず紫色を帯びて腫れている。帯状疱疹であることはほぼ間違いないだろう。もはや覚悟を決めるしかない。
今日はルネッサンスリゾートオキナワを後にし、那覇市内に宿泊。夕方にはレンタカーも乗り捨て、あとは自分の足と公共交通機関での移動となる。
何よりもこの日は、神の降りた島、久高島を訪問することになっている。既に現地ガイドも予約済で、島に渡れば良いばかりになっていた。

ところがこの日は朝から何だかおかしい。
食欲もないし、気分もあまりすぐれない。なぜかイライラばかりが募る。

ルネッサンスリゾートオキナワの支配人

チェックアウトの時間が30分遅くなっただけで、かなりイライラし、さらには持参したカメラが異常な動作を始め、またイライラ。電池交換してようやく元に戻ったが、この時僕は大変なミスを犯していた。

ホテルから久高島へのフェリーが出航する安座真港までは、所要時間を約1時間を見込んでいた。フェリーの出航時間は10時であり、昨日の高速道の渋滞を考えると、所要時間1時間20分と想定、となると8時40分にはホテルを後にしなければならない。ところが時計はもう8時40分。いっそのこと諦めるか、それとも...。

ん?

あれ?

...鍵がない!レンタカーの鍵がない!!

確かに部屋を出る時、車の鍵は手に持っていた。チェックアウトの際にも、手に持っていたはず。イヤ待てよ、決済の時にフロントに置いたか?イヤイヤ待てよ、カメラの電池交換の時はどうだったっけ?頭の中がグルグル回り、汗が噴き出る。

「フロントに聞いてみればいいじゃない。」

妻が呆れたように言い放つ。

フロントにおそるおそる尋ねてみると...。

「あ。さっき届いてましたね。」

何のことはない、カメラの電池交換で混乱に陥った僕は、その場に車の鍵を置き去りにしてしまったらしい。何という大チョンボ。さすがにこの時ばかりは、自分自身に呆れてしまった。
ただ、これで冷静さと開き直りを取り戻した。
別に遅れてもいいや。こういう開き直りが功を奏することもある。高速道、一般道ともに渋滞は全くなく、やがてフェリー乗り場のある安座真港に到着した。時間はまだ9時40分だ。

とその時、僕の携帯電話が鳴った。久高島のガイドさんからだ。恐らく日程の確認のための連絡だろう。

ところがその後の会話で、僕たちは失望のどん底に落とされることになる。

「こちら久高島交流館です。実はですね...今日フェリーの1隻が中間検査で運休になっておりまして、フェリーの時間が変更になっております...。」

...え?

「9時の船は既に出航しておりますので、次に安座真港を出航するフェリーは11時30分になりますねぇ。」

.........ウソ?

何と、10時のフェリーが欠航となり、次の出航は11時30分だというのだ。さすがに焦燥。

「船上タクシーあるって書いてたよね?行ってみようよ。」

何としても久高島に渡りたい妻。そのために30分前にわざわざ、酔い止め薬まで飲んだのだ。
ところが、船上タクシーと掲げられた看板のそばには近くの現場で作業するオッさんがたむろしていて、それ以外の人影は見えない。...と、船で作業する人を発見、「あの、タクシーなんですが...」と聞くと、「俺じゃない。」とあっさり断られる始末。
看板に書かれている携帯電話に連絡しようにも全く繋がらず、もはや八方塞がり。

恨めしそうに久高島を見つめる妻。(安座真港から久高島は肉眼でもハッキリ見えるのです。)

かといってこれから11時30分まで待ったとしても、島での滞在時間は1時間程度しか確保できない。しかも、久高島から安座真港に向かう13時の便に乗り遅れると、次の便は17時。となると、完全に予定が狂ってしまう。

「来年、もう一度リベンジしよう。」
渋る妻を説得し、久高島交流館へガイドさんを断る旨連絡。意外にもあっさりと、特に残念がるそぶりもなく受け入れられた。嗚呼...。

さて、これで完全に計算が狂ってしまった。どうしようか...。
あ、ここまで来たんだから、近場にある「斎場御嶽」に行ってみよう。

「斎場御嶽」も、世界遺産の一つである。その昔、神と交信する場所として儀式が行われた場所で、沖縄でも最強のパワースポットとして知られている場所だ。
斎場御嶽から久高島

斎場御嶽

200円の入場料を払い、道を進むと、ピンと張り詰めた空気が漂う。神々しさ、とはこういうことをいうのだろうか、切り出した岩の下をくぐり抜けると、久高島を望むことができるスポットにたどり着く。


斎場御嶽

斎場御嶽

こういうところで無駄口は不要。どうでもいいような会話をしている人たちが苛立たしく感じられるぐらい。

斎場御嶽

斎場御嶽

十二分にエネルギーを頂き、斎場御嶽を後にする。そうそう、沖縄っていわゆる神社の鳥居がほとんどないんですよね。なので、神社はあるらしいんだけれど、どこにあるのかわからないという...。

斎場御嶽を後にした僕たちは、観光スポットの一つであるニライカナイ橋を抜け、南へ。
また橋を越えて渡れる島があるのを地図で発見。こうなるともはや行き当たりばったりなのだ。

奥武島。昨日渡った島も、奥武島。同じ名前の島がいくつかあるらしい。後で知ったことなのだが、南にある奥武島の近くには、宮本亜門の家があったようだ。でも、正直あまり興味ない(笑)。

取りあえず島に渡ってみようということで渡ってはみたものの、お食事処がたくさんある割には人影もまばら。
ふと、グラスボートの看板を発見、向かってみることにした。
港はもっと人がまばらで、流石平日のお昼、といった感じだ。
11時30分を過ぎていたが、ボート乗り場には誰も人がない様子だった。小さな建物に近づくと、犬がワンワンと吠える。中からおもむろに窓が開き、おばさんが顔をのぞかせた。

「今ならすぐ出られますよ。」

我々二人しかいないのに、ボートを出してくれるという。こりゃラッキーということで、一人1,050円を出して船に乗り込んだ。


奥武島・グラスボート

操舵するオッさんがいろいろ説明をするのだが、エンジン音があまりうるさくてよく聞こえない。港を囲む防波堤を抜けると、船がスピードを緩めた。太平洋は、うねりを伴った高い波がひっきりなしに押し寄せているが、珊瑚が自然の防波堤なのか、はたまた岩礁があるのか、船の進むところは比較的波が穏やかだ。
底のガラスを覗き込むと、巨大な珊瑚が続々と現れる。色とりどりの無数の魚が泳ぎ回っている。

「ニモ!ニモ」

確かに大きなクマノミが泳いでいるのだが、オッさんがうるさい(笑)。
珊瑚帯を抜け、船は更に沖合に近づく。今度は魚が船に近づくようにやってきた。どうやらこの辺の魚は餌付けされているようで、鯛をはじめとしたいろんな魚が餌を求めて船を追いかけてくる。

海上から本島を望む

乗船時間は約25分、最後は波の上をバウンドしながら乗り場に戻ってきた。
昼を過ぎていたので、そろそろ昼食を...と考えたが、奥武島から本島に戻り、南城市方面に向かう。またしても沖縄そばが目当てだ。
しかし、目的地の途中で発見した「自家製麺 なかむら家」の看板に惹かれ、そのまま入店。

近くで働く作業員の方が非常に多いようだ。
接客態度はこれまで沖縄島内で訪れた店の中では文句なしのワースト・ワン(苦笑)。やる気がないというか面倒くさいというか、そういう表情がありありと滲み出ているおばちゃん。
まぁ、麺は結構うまかったので許すとするか。


なかむら家・肉そば

さて。
思えば約15年前から沖縄を幾度となく訪問しているが、意図的に避けていた場所がある。

平和祈念公園。

沖縄の歴史を語る上では避けて通ることのできない場所なのに、その歴史に敢えて僕らは目を背けていたのだ。

糸満まではもう、目と鼻の先だ。
車を走らせると、すぐに平和祈念公園への入り口が見えてきた。ここまで来たならもはや避けて通れないだろう。薄日が差して暑かったが、車を降りて祈念公園を歩いてみた。屏風のような石碑(平和の礎)が無数に建ち並び、戦災で亡くなった方々の名前が数多く刻まれている。その数は20万を超えるという。

いたたまれぬ思いに駆られながら、太平洋を望む広場へ。小学生が無邪気に平和の礎の間を駆け抜ける。日本人以外の人もまばらではあるが見受けられる。

糸満市・平和祈念公園

糸満市・平和祈念公園

今回、資料館まで足を向けることはできなかったのだが、ようやくこの地に足を伸ばしたことで、何となく心の中にあったわだかまりがちょっとだけ晴れたような気がした。

ひめゆりの塔はここから更に離れた場所にあるのだが、今回こちらには立ち寄らず、那覇市内へ直行。

国際通りへ少しだけ立ち寄った後ホテルにチェックイン、荷物を置いて、レンタカーの返却先であるDFSギャラリア沖縄へ。

ここでまたいろいろ物色した後、夕食を済ませ、ホテルに戻ったのは21時30分過ぎ。
これまでの疲れがドッと出たのか、僕は22時には夢の中にいたらしい。

10日は13時15分発の飛行機で羽田を経由し、21時前に自宅到着。いつになく充実した4日間だった。

しかし3日目はなかなかハードだったな。来年は久高島、何としても行かねばです。

(おわり)

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