2010年9月 7日

父の命日

今日、9月7日は父の命日である。あっという間の2年間のだったような、ついこの間のことだったような、何とも言えぬ感覚、そして間隔だった。

日曜日に三回忌法要を終えた後の会食の席上で、施主として一言挨拶を述べさせて貰った。

本当はもっと言わなければならないことがたくさんあったのだが、来て頂いた方々を待たせていたということもあり、手短に済ませた。なので、本当に言いたかったことの半分も言えなかったような気がする。

光陰矢のごとしとはいうものの、未だ心に空いた穴が塞がることはなく、父の影(陰)ばかりを追いかけていること。しかし、三回忌という節目を機に、父が導こうとしている一筋の光明を見いだすとともに、心に空いた穴を少しずつでも埋めて行かなければならないこと。

ただ、今日一番の主役なのに、その主役が不在ということには、やはりどうしても違和感を覚えてしまうこと。

残された我々家族は大きな幹を失い、細い枝葉ばかりが残ってしまったが、これからも各々が細いながらも支え合いながら、前を向いて進んでいくこと。
そのためにも、これまで同様、いや、これまで以上のご厚情やご指導を皆さんから賜らねばならないこと、などなど...。

本当はもう一つ言いたいことがあったのだが、あまりにも生々しく、かつシュールな話なので、そっと胸の内にとどめておこう。

2年前、突然父が亡くなってから怒濤のごとく続いた日々はあまりにもハード過ぎて、一部記憶が欠落している部分もあるのだが、一生忘れることはないだろし、一生忘れられないだろう。
そして、いつか心に空いた穴が埋まる日が来るのかと言われれば、それは父に対してのいろんな思いが埋まるということであり、一生あり得ないことだと思っている。

せめて命日ぐらいは一日ゆっくり父への思いを馳せても誰も文句は言わないだろうが、生前の父が行ってきた数々の行動を思えば、父に対する哀悼の思いを仕事で紛らわすということもアリかも知れない(もっとも今日は、あまり仕事が手に付かなかったというのが正直なところではあるが)。

根が生真面目だった分、酒の勢いに任せて数々の失言暴言を繰り返し、信頼も損ねた父。

しかしながら残された僕たちは、その父が築き上げた人脈によって支えられているというのも事実だ。

父の生き方は、誰が何と言おうと胸を張って誇れるものだし、我々家族誰しもがそういう思いを抱いている(はずだ)。

最近また、やたらと父の遺志を継ぎたがっている人、いや、既に継いでいるという人も弘前市内に大勢いるようだが、本当の意味で父の遺志を継ぐことが出来るのは、我々家族でしかない。

そのことだけは、もう一度この場を借りてハッキリと言わせて頂こう。

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